2016年06月30日

お散歩トレーニングで得られるもの


いつだったかのお散歩トレーニング、基礎トレを終えて広場から”終わりの会”の場所へ戻る時、先生

「ひとことも言葉を発しないで自分の犬と歩き出して下さい」

と言われたことがありました。

みんなワンコさんが付いて来てくれるか心配だったかもしれないけれど、一組、二組と林の静寂の中をワンコさんと飼い主さんペアが歩き出しました。
一組目が歩き出してかなり距離をとって二組目、そしてまた距離を開けて3組目・・・。
ワンコさんと手をつなぐように静かに歩き出すお仲間さん達と、それを包み込む林の音。
美しかったなあ。

これっていつか夏目先生がおっしゃってた

「飼い主さんの周りにワンコさんが円を描き、その小さな円が沢山集まって大きな円を描いている」

という光景。

その直線バージョンだなって思ったのでした。

160630_131205.jpg

他犬に対して吠えが出ちゃうワンコさんも、他のワンコさんから十分距離をとればパニクらずにみんなと歩けるんですよね。
もし近づきすぎて吠えたり突進したりしたら、叱らずにその時できる穏やかな方法で両者距離をとる努力をします。

一見難しそうに思える”叱らずに吠えを止める”ということも、日々を共に過ごしているワンコさん飼い主さんなら、ある程度できるようになるんだなというのが私の印象です。
それに、先生ができるのだから私達だってどのワンコさんとも出来るはず!ということでリードワークやボディランゲージ(自分が使える様になる)や理念を今一度深くふかく勉強しています。

人間がやみくもに命令したり叱ったりしなくても、距離やボディランゲージや匂いで犬達とうまくやっていけると思います。むしろその方が平和です。
言葉や力で何かを伝えようとやっきになる人間を見て、犬達は
「落ち着いて、落ち着いて」
ってシグナルを沢山だしているのだと思います。そういう動画をネットで沢山目にします。

人は主に言葉(言語)でコミュニケーションを取る生きものだから、どうしても犬にもそれをやってしまって、でも犬達はそれを理解しないから今度は力ずくで・・・
となりがちなトレーニングがあると思いますが、お互いの間に齟齬が生まれ、関係が悪化してしまうケースが多いのではないでしょうか。

犬達のことば(ボディランゲージ)を見て、それに見合ったものを提供してあげられる飼い主が、犬に信頼され、意志の疎通が図れるようになるのだと思います。
お散歩トレーニングはその絶好の場所でした。
お散歩トレーニングの時くらい、いや、その時だからこそ言葉(人間の言語)でない犬の世界を感じたい。
犬の世界にいられる事を楽しめる人間でありたいなって思います。

犬達はきっとおやつをもらうのも嬉しかったり楽しかったりするかもしれないけれど、でもそれよりも犬としての高次の喜び・・・

同族と共にに歩く事。

それも、お互いのスペースを尊重しながら一緒に歩く事。


これをルビーには与え続けてあげたいなと思っています。

posted by カエデ at 20:20| Comment(0) | お散歩トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

「怖いから言う事を聞く」という関係

先日パピーを迎えたばかりの方に、甘噛みやらお散歩やら遊び方の相談をされたことがありました。

「まだ2ヶ月ちょっとで本当はまだまだお母さんが必要な時期だから甘えたい気持ちはよくわかるんですけど、でも甘噛みが痛くて痛くて」

っておっしゃっていて、私は少しホッとしたのです。

本当は犬のお母さんの元にいてもおかしくないほどのほんの小さな子なんだという事をおっしゃっていたのと、犬のトレーニングやしつけの場面において良く駆り出される「アルファ論(支配性理論)」的な単語がその方の口から出てこなくて、ホッとしたのでした。

アルファ論(支配性理論)というのは、
『犬の先祖である(とされている)オオカミは群れを作り、その群れには優位性の高いアルファがいて群れを仕切っている。だから犬を迎えたら人間がアルファになり犬を支配しなければならない』という説。

ただこれは、この説を導き出した実験で観察されていたのは自然のオオカミではなく、人工的に作られたオオカミの群れだったことが『動物が幸せを感じるとき』(p.42)辺りや、『犬のこころにまっしぐら』(p.120)辺りに書いてありますが、それをそのまま犬に当てはめていいのかということや、支配とか優位とかアルファとか言う言葉で表現されるものの本質がその言葉を使う人それぞれになっている事が多いなど、問題点がとても多い様に感じています。

犬のしつけやトレーニングにおいて私が「これってかなり問題なのでは?」と感じる事のひとつに、犬に対する暴力や過剰な無視・コントロールなどを正当化する為に”支配”という言葉を使っていることがあると感じることです。

たとえば・・・
犬が自分をリーダーだと思わないように、人間が犬を支配しなければならない。その為にはどんな時でも言う事を聞く犬にする。散歩の時には常に横について歩かせ、少しでも前や後ろに出たらリードを強く引っ張って「NO!」と言う。
吠えたら大きな音を立てたりスプレーを吹きかけたりしてびっくりさせて吠えを止める。
「ヨシ」という前にご飯を食べようとしたら叩く。
まだまだ小さなパピーを無理やりひっくり返したりマズルを掴んだりして服従させようとする・・・など。
自分(飼い主)が少しでも違うと思っていることをしようとすると、犬を力でねじ伏せたり叩いたり締め上げたりすることが、「支配」という言葉の元に正当化されている現実があるように感じています。

でもそんな風に支配されることが幸せと感じる犬がいるかな?
恐怖で支配されることが幸せだろうか。

「人間と犬の『感情脳』は似ていて、辺縁系を形成する脳細胞のその部分がすべて同じにできている。この脳細胞のおかげで、犬も私たちとおなじような感情を持つ。怒り、喜び、高揚感、満足感、不快感、悲しみ、倦怠感、恐怖など。」
(p.219〜p.220)

犬が怖がっているかどうかってなんとなくわかりますよね、ボディランゲージで。
ボディランゲージがわかるようになれば、しょんぼりしてるワンコさんを見て
「大人しくなった。おりこうさんになった」
なんて見誤る事もなくなると思います。

私もルビーを迎えた当初は本当に戸惑ったけれど、でも怖がっているか楽しんでいるかの違いは分かりました。わかったからこそ、優しい方法をとりたいと思うようになって今ここにいます。

160623_01.jpg

怖いという感情は、私達と同じ感情を持つ犬達にとってもネガティブなものであるに違いありません。可愛くて迎えた命に恐怖や悲しみを抱かせるような方法をとりたいと思う人が本当にいるのかな。
彼らにポジティブな感情で満ちた豊かな犬生を送ってもらいたいと思うのが、犬を愛する人にとっては自然な感情なのではないかと思っています。



posted by カエデ at 22:40| Comment(0) | 成長過程 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月18日

「ドッグトレーニングとトレーナーに望むこと」犬の学校に参加して

昨日は、チャーリードッグスクール”犬の学校”に参加致しました。

160617_01.jpg
終了後、れあれあさんで頂いたパンケーキ♪

「ドッグトレーニングとトレーナーに望むこと」
というテーマで、先生を始め、参加されたみなさんの色んな意見を伺いました。

犬に優しい方法をとりたいと思う方々の中にいると、世の中やっとそういう方向に進み始めたのかなと錯覚しそうになるけれど、実はまだまだそうではない現状がありますね。

動物愛護推進員をしていても、”命は大切”とは言いつつも、動物福祉の細かい部分まで考えている人は少ないんだなという印象が強いです。
でも命が大切と考えるなら、動物の福祉まで考えて、そしてそれと深い関わりのある『犬の欲求階層』(犬の場合)まで考える必要があると思います。そしてその欲求階層の中でも一番大切な”生命の安全”が満たされているか、それも体の安全だけでなく心の安全(犬自身が安心感を感じられるか)を考えないわけにはいかないはずだと思っています。

犬達は飼い主と一緒に暮らしているので、飼い主さんもある意味満たされて、幸せである必要がある訳で。
だからこそ、飼い主さんが
「自分はあの子にあんなことをしてしまった」とか
「寂しかっただろうに、心細かっただろうに」など、
犬を想って悲しくなるようなものを"良いもの"として人に紹介してはいけないのではないかと思っています。

また、飼い主(人)が幸せであることが大切だけれど、人間側だけが一方的に楽しければいいというものではなく、そこから一歩進んで、自分の好きな動物が幸せになる為なら自分が変わる事は厭わない、そしてそういう自分である事が幸せ、と感じられる事が大切なんだと思うようになりました。これは私自身、常々確認しながら生きています。(というか、確認せざる負えない状況に陥るので。^^;)

人も犬も、今できる最善のこと(それが最終目標からは程遠いものでも)を「大丈夫、その調子」って応援され励まされ続けることでその時々を乗り越え、より良い方向へ段々と導かれるんだなあ・・・と。これは実際にそういうことを目の当たりにしたり自分が体験したりしてきていることなので、そんな大らかな姿勢がもっと大切にされるといいなと思いますし、この姿勢は生きやすさに通じると思います。

相手を過剰に矯正したりコントロールしようとすることは、結局は相手を委縮させたり心の幅を狭めたりすることになると感じていて、それは犬も同じで彼らからすると虐められてるって感じることがあるかもしれません。

ただ、生きものって未熟だとどうしても弱いものに対してそうなりがちだと思うのです。
でも、犬のことを動物福祉に則って勉強していくうちに、弱い立場の命を悲しませたり虐めたりするのっておかしいしよね、自分も苦しいよね、でもそういうものと決別することで自分も苦しみから解放されるよね、ということに気づかされます。
これって犬だけでなく人間にも言える事で、自分が弱くなった時、自分を取り巻く社会が優しくありますように、と願うのは誰でも一緒だと思います。
では今の自分がどうあるべきなのか。
これからどうなって行きたいのか。
犬を想いつつ人としての在り方を考えた一日でした。

posted by カエデ at 01:33| Comment(0) | セミナー・講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする