2016年10月20日

そういう動機で始めてもいい

こんにちは。
暑いくらいの埼玉です。なんだか調子崩れちゃいますね。

内田樹先生の「ぼくらの身体修行論」。とても好きな本で、何度も読みかえしている一冊です。


140ページあたりにこんなことが書いてあります。
内田先生が多田先生にどうして合気道を始めようと思ったのか聞かれた時、
「はい、喧嘩が強くなろうと思って」
って答えたところ、
「そういう動機で始めてもいい。
(しかし、)君は君が学ぼうとしている事と全く違う事を学ぶことになるだろう」
というような事を言われたと。
そしてそれに魅了されたと。

学びとは、
「これください」
「はい、差し上げます」
という技術と対価の交換ではない、
というようなことも書いてあります。

6年間、同じような場所で勉強してきた気がするよ。
入口に立ってた時の自分が欲しかったものと違うものを持って出口(ないかもだけど^^;)に立ってる自分がいる気がするもんね。

犬とどうしたら仲良くなれるのか、その方法を教えてもらえると思ったけど、肝心なのは方法じゃなかった。
方法はその子その子の前で都度自分で決めるもの。
その”決める力”をつける為に必要なものを自分の中に育てること。

でも自分で考えてやってみたものの、なんだか違うらしいということは否定されなくても分かってきたりします。そうしたら自分で考える。
考えてまたやってみて、でもまた失敗して・・・。みたいな。
でも出さなくちゃ(やってみなくちゃ)間違いにも気づかない訳ですしね。そういう意味では失敗は肥やしになるから。

だけど、自分ではない別の命。例えば犬達に対する失敗は?
理不尽な叱りで悲しい思いをさせてしまったことなどは?

私にとっての犬の先生が
「犬達は忘れない。忘れないけど許してくれてるんですよね」って言ってました。

そうか。彼らは今を生きてるから、というのもあるかもしれないけれど、見方を変えると私達人間よりも成熟してるね。^^;
そんな彼らに後悔とか憐みとかそういうものを返して自分を慰めるのだけは私はやめよう。
もっと彼らが貰って嬉しいもの・・・。
今日からの日々が穏やかで安心できて、犬としての喜びで満たされるものであるように努めよう。
怒り顔ではなく、笑顔やずっこける(死語?^^;)くらいの笑いとか。

でもそういうものって犬や猫と暮らしてると自然と出てくるはずのものだったりしますね。
だって、ルビーの寝顔はこんなにかわいいし、チニタの寝相もこんなにおかしいし。

161020_01.jpg

161020_02.jpg


収斂進化という言葉がありますが、私が彼らに近づいているのかその反対なのかはわかりません。^^;
posted by カエデ at 14:45| Comment(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする