2018年08月29日

見ようとすると見えるもの

こんばんは。
今日はルビーの通院日でした。診察が午前中だけの日だったので混んでたなぁ。
途中、お年寄り柴ワンコが大切そうに抱っこされて入ってきて、ほんわかした気分になりました。


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2015年8月のルビー♪

ルビー、苦手な場所になった病院も、だんだん緊張が解けるのが早くなってきました。
食べ物がのどを通るかどうかが緊張のバロメーターではあるけれど、もし喉を通らなくても彼女を励ませるものを、普段、食べ物が食べれる状態の時に沢山つくっています。
すごいね、かっこいいね、というような声掛けはもちろん、抱っこやなでることも彼女にとって落ち着けたり、気分転換になるものに日々の暮らしの中で仕立て上げ続けています。病院の外でやるおやつばらまきノーズワークも、一役買うこともあります。


日々の暮らしの中で、犬に何もさせずに”オヤツをただあげてるだけ”に見えることの裏で、犬や猫が何を受け取っているかを想像してみると・・・。
オヤツ(食べ物)という、犬(猫)たちがもともと好きなものの”好き”という印象と、そこに一緒にいる(ある)何かがリンクする、ということが見えてきます。
そうやって、犬(猫)にとっての好きなものを沢山作れるし、それは彼らの住む世界に彼らの好きなことがあふれるということ。

でも逆に、嫌なものも同じような手続きでどんどん作られていくから、そうならないように注意しながら(=叱らない、基本犬が嫌がることをしない)生活します。

怖いもの、嫌なもの、で満たされた世界に住むよりも、好きなもので満たされた世界に住む方が彼らもきっと幸せなはず。生きにくいほどの警戒心も必要なくなると思います。警戒せずにリラックスしていられたり、警戒してもすぐに落ち着ける方が、お互いにとっても暮らしやすいですもんね。

人間から見て”同じもの(こと)”であっても、それを犬(猫)が好きになってくれるか、嫌いになってしまうかは、一緒に暮らしている飼い主である自分が左右してることが沢山あるんだ、とわかったとき、長年の謎が解けたような気持になって胸がいっぱいになったのを覚えています。だってこれは自分を含めるほとんどすべての生きものに共通することだったから。

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先日の恩賜公園。ミツバチかわいい♪(実はまだまだ沢山写真があります。^^;)

物心つく前から好きなものって、自分ではどうして好きになったのかわからないものの方が多いから良い例が思い浮かばないのですが、
「どうして虫が好きなの?」
と聞かれたとき、
幼稚園の頃、大きなありんこを捕まえられることを笑顔で褒められたからかなあとか、
母の田舎へ行く道すがら、父がワクワクした表情で「あ、すごいの見つけたぞ」と言って、私の背よりも高い草むらから、タマムシを取り出して見せてくれたからかなあとか、
もっと切ない記憶も含め、^^;思い出せるエピソードはそれなりにあって、もしかするともともと好きだったけれど、こういう体験が”好き”に拍車をかけたのかもしれない、なんて思ったりもします。

こういった思い出からも、優しく笑顔で接することの大切さを感じるんですよね。

リツイートした記事を読んで見ても、家畜の中でも伴侶動物としての歴史が長い犬達は、もっと人間の表情を読めるのではないかなと思ってしまいます。好きな存在の為なら”ナチュラルボーン・能面”の私もがんばって笑顔を作りますよ!(笑)

苦手なことも沢山ある私なので、その中で生きる生きづらさは嫌というほどわかる分、自分が育てると決めた命に対しては、好きなものを沢山作ってあげたいと思います。大切なものが幸せになってくれると自分も嬉しいですもんね。



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posted by カエデ at 23:50| Comment(0) | 古典的条件づけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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