2016年02月15日

猫もえらい、犬もえらい

犬友さん、、、というか犬猫友さん?^^;と一緒に『猫なんかよんでもこない。』を観てきました。

2012年に見送った愛猫フーラと同じ境遇の黒猫が出てきて色々思い出したりしていました。
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最近読んだ内田樹先生の本『先生はえらい』にこんなくだりがあります。

”一人の師に複数の弟子がいて、弟子たちは全員が師の蔵する「謎」の解読に失敗します。失敗することが義務付けられているのです。でも、まさしく全員が師の「謎」を解く事に失敗するおかげで弟子全員が師との対話を(師の死後でさえ)続け、弟子同士で「ああでもないこうでもない」と「謎」について終わりなく議論し合う事ができるのです。”
(「先生はえらい」p.151)


あの映画の中にも師と弟子がいましたね。
フーラも私にとっての”師”でした。
というか、今も”師”です。
『犬ってよんだらくるよね』^^;
って映画を作っても、多分師と弟子が登場するに違いありません。






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2015年09月03日

弱くて強い自分

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「食べてるだけで”いい子だね”」とか、「叱らない」とか言ってると、なんだか優し過ぎて弱々しいとか感じて、そんなだから犬になめられるんだとか思う人がいるかもしれないですけど。

でもそうじゃないですよね。

犬を叱りたいその”叱りたい気持ち”って(犬を叱らない人を叱りたいと思う気持ちも同じですよね。)、自分の中のイライラだったり思い通りにいかないことへの怒りだったりすると思うのですが、その衝動に負けない自分を作るということは”強い”ということだと私は思います。

犬の行き過ぎた行動は穏やかな方法で止めることができるし、そういう関係になる為にも叱らないことが大切で、その関係づくりの中にこそ”優しさを基盤とした強さ”が必要だと感じています。

犬を慮る気持ちは優しさから生まれるものだと思うし、慮ることは”犬がどういう動物なのか知りたい”という気持ちに繋がると思うし、その中で自分の過ちに気づいたとしたら、そんな自分を認め変わろうとするには強さが必要ですもんね。

”自分の過ちに気づいたとしたら、そんな自分を認め変わろうとすること”
は、私にとってもとても難しいことでした。というかこれからもあるでしょうから現在進行形で”難しいこと”です。でも犬が好きだから仕方ない。^^;
誰だって弱くて・・・だからこそ強くなりたい。
そう思えたらそれはすでにそれまでの自分より強いということだと思います。
頭(脳)でイメージしたことって現実になりやすいそうですよ。
だから”こうなりたい”と強く心に誓うだけでも自分が変わる一歩だと、そう思いながら私は頑張っています。


posted by カエデ at 17:18| 大切な余談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする